奈良市の郊外、かつ平城京の北部
奈良時代において宮人が花をかざして往来した秋篠路や
外山の里であったという宮域であり、古墳や天皇陵などが多数点在する地
この平城村秋篠に
奈良県馬匹畜産組合により秋篠競馬場の施設が出来たのは1939(昭14)年12月
交通の便も良く開催日には多くの観客で賑わった
1950(昭25)年5月:競馬場の一角に県営奈良競輪場もつくられた
その当時の競輪選手は
大阪を中心とした近畿勢が圧倒的に強く
関西地区では急速に競輪に対する人気が高まり
競馬、競輪を両立させ
地方財政の資金源としたかった奈良県ではあったが
競輪ブームの影響で競馬のレースはいまひとつ盛り上がらなくなり
奈良競輪場が開催された年を持って秋篠競馬場の運営は休止された
結局
奈良県に現存する公営ギャンブル場は奈良競輪場の一ヶ所だけとなったが
そこには今なを根強いファンが集まっている
<昭和42年度・奈良県主催・連勝複式勝者投票券>
奈良県奈良市秋篠町98
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